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一番つらいのは目標を見失ったとき

新潟県長岡市のアパレル衣類修整のプロ集団、山田修整有限会社社長の吉田です。「衣料品修整」=納品トラブル解決をサポートする経営者の立場から考えることを中心に書き留めています。

 

9月18日朝のNHKテレビ番組「インタビューここから」を観ました。2006年のトリノオリンピック金メダリスト荒川静香さんが出演しており、「自身の人生の原動力」について語っている姿がとても印象的でした。

 

荒川さんは、仙台で5歳の時にフィギュアスケートに出会ってから、36年間、同じスポーツに向き合い続けています。

 

わたしが印象に残ったポイントは次の3つです。

 

ひとつは、いろんな習い事をした中でスケートが続いたのは「一番難しかったから」と語っていたことです。一つのジャンプにもいろんな種類があってチャレンジに事欠かないうえに、そのひとつのことを100%にするということも難しいので、「これでもういいや!」と自己満足することがなかったそうです。

 

また、「一番苦しかった時期は?」という質問に対する答えも印象的でした。

荒川さんは、2004年3月、早稲田大学卒業と同時期に、ドルトムントで行われた世界選手権で3回転-3回転のコンビネーションジャンプを決め、技術点で満点の6.0をマークし日本人3人目となるワールドチャンピオンを獲得していました。2年後にトリノオリンピックを控えている中で、進路選択の意思決定があいまいなまま次のシーズンに突入。気持ちの迷いは当然パフォーマンスにも影響し、翌年の世界選手権では総合9位に落ちました。結果的には、そこから立ち直って2006年のトリノオリンピックで金メダルを獲得するに至るわけですが、当時の状況を振り返って荒川さんが語っていたのは、「目標を見失うことのつらさ」「日本代表としてのメダル獲得という目標は当然として、自分らしい悔いのない演技をするという私的な目標を持つことの大切さ」です。

 

そして、現在は2児の母になった荒川さんが、「日々の子育てにてんてこまいする自分」「アイスショーで華やかな衣装で笑顔を振りまく自分」のギャップを率直に語っていたことも印象的でした。その中で、「現状維持というものはなく、20代30代40代・・・常に変化する自分の体力や身体能力にフィットするパフォーマンスを常に一から作り直している」とさらりと言っているのを聞いて「この人すごいな」と感動しました。

 

ちなみに、荒川さんの代名詞でもある「イナバウアー」については、目下「いつまでやるの?」がテーマだそうです(笑)40歳を過ぎて現役を続けているのは稀で、次世代の人たちのために何が残せるかという意識も芽生えてきたそうです。

 

何気なく観た番組でしたが、朝からやる気元気をいただきました。