新潟県長岡市のアパレル衣類修整のプロ集団、山田修整有限会社社長の吉田です。「アパレル衣料品修整」=納品トラブル解決をサポートする立場から考えることを中心に書き留めています。
社風を考える上で、自分自身の価値観だけでなく、その価値観を育んだ「土地柄」について理解することも重要なことです。弊社所在地の長岡市の精神性を表現する言葉に「長岡魂(ながおかだましい)」とよばれるものがあり、そのひとつが「米百俵(こめひゃっぴょう)の精神」です。それは、「国がおこるのも、まちが栄えるのも、ことごとく人にある。食えないからこそ、学校を建て、人物を養成するのだ」という教育第一主義のことで、長岡市のまちづくりの指針や人材教育の理念として受け継がれています。
河井継之助が率いた北越戦争(戊辰戦争の一つ)で敗れた長岡藩は、7万4000石から2万4000石に減知され、実収にして6割を失って財政が窮乏し、藩士たちはその日の食にも苦慮する状態でした。このため窮状を見かねた長岡藩の支藩三根山藩から百俵の米が贈られることとなり、藩士たちは、これで生活が少しでも楽になると喜んだものの、藩の大参事小林虎三郎は贈られた米を藩士に分け与えず、売却の上で学校設立の費用とすることを決定したため、藩士たちからの抗議を受けました。それに対し虎三郎は、
「百俵の米も、食えばたちまちなくなるが、教育にあてれば明日の一万、百万俵となる」
と諭し、自らの政策を押しきりました。これが長岡の近代教育の基礎となり、後年、東京帝国大学総長(現東京大学)の小野塚喜平次、解剖学医学博士の小金井良精、司法大臣の小原直、海軍の山本五十六元帥など、ここから新生日本を背負う多くの人物が輩出されることとなりました。
この物語は「米百俵の精神」という言葉になり、内閣総理大臣だった小泉純一郎が、小泉内閣発足直後の国会の所信表明演説で引用されて有名になり、2001年の流行語大賞にも選ばれたりもしました。また、長岡市内では音楽イベント「米百俵フェス」や秋に行われる「米百俵まつり」、再開発地区「米百俵プレイス(仮称)」など様々な場面で名前が取り入れられています。